時々、ふと思い出す。
彼女は、本当に気付かなかったのかな。
《Little Red Riding Hood》
by 凛さま
「蓮、とりあえず休んでおけ」
控え室に戻るなりの社さんの言葉。
言葉を返す気力も無いまま頷いて、そのまま備え付けのソファにぐったりともたれかかった。
瞑った事によって視界が遮断され、社さんが外に出て行った事を示すドアの閉まる音が小さく響いた。
ここ最近無いくらいの多忙ぶり。休みも無ければ、彼女に逢える機会を作る暇すら、1秒も無い状態。
……後どれだけ仕事をこなせば、彼女に逢えるんだろう。
うつらうつらと、取り止めもない事を考えていると、控え目に扉がノックされた。
「はい?」
あの、済みません、お忙しいのに、と顔を覗かせたのは……。
「最上さん?」
身体を起こそうとするけれど、それこそ今までの疲れの溜まった身体は簡単に起き上がらなかった。
いいです、そのままで大丈夫ですから!! と、慌てたように彼女が駆け寄って隣りに座る。
途端に、甘い可愛い香りがふわりと漂った。
「社さんに、色々聞きまして。僭越ながらお弁当と日持ちのする軽食、持って来ました。クーラーバッグですし、保冷剤もたっぷり入っているので、もし食べられなくてもお部屋に帰るまで持ちますから、無理しない程度に食べて下さい」
「ありがとう」
お礼を言うけれど。食指はぴくりとも動かない。
それよりも気になったのは彼女からの香り。
今まで、そんな香りをさせていた事なんてただの一度も無かったくせに、どうして?
「香水、珍しいね、どうしたの?」
嫌な独占欲が顔を覗かせる。だけど、それでも知りたいのが本音。
「あ、モー子さ、じゃなくて、琴南さんとお互いに香水を選んで贈り合ったんです。似合うだろうと思う香りを選んで。もしかして、きつく匂ってます?」
済みません、付けるのに慣れていなくて、不快に思わせちゃったなら申し訳ないです、と言うものだから、そんな事無いよ、と誤魔化した。
不快に思ったのは別の事。だけど、良かった。香水を贈ったというのが彼女で。
「付け方も上手だと思うよ。隣に来て風がそよいで香って来る程度の付け方だし。それに、最上さんに良く似合った香りだし。琴南さんは本当に最上さんの事を好きなんだね」
そう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「甘くて可愛くて」
ああ、ごめん。本当に俺、疲れてるんだ。
「つ、つつ敦賀さん」
慌てた最上さんの声。
「美味しそうな香りがする」
理性は既にどこかの彼方まで飛んでしまっている。
身体は彼女の覆い被さって、額を首筋にあてていた。
甘い香りが更に強くなる。
「お腹、空いてらっしゃるんですか?」
そうだね、すごく。すごーく、空いている。餓えていると言っても過言では無いくらいに。
「甘くて、美味しそうで、食べてしまいたいくらいに」
その香りを剥いで、俺の香りで上塗りしたい。
「敦賀さん、鼻も良いんですか? カロリーを考えて揚げてはいないんですけど、簡単に口に入れられるように、焼きドーナツ作ってきたんです」
見当違いの事をのたまう彼女。
うん、もういいよ。君に関しては学習能力、一応は付いてるし。
深い溜め息を吐くと、彼女の肌が一段と暖かくなった気がした。
ああ、そうか。この位置で俺が溜め息を吐いたら……。
「少しだけ、こうしていさせて。疲れてて人肌が恋しいんだ」
「……それで、少しでも敦賀さんが元気になるんでしたら」
少し迷ったかのような間があって、彼女の返事が心地よく耳に落ちてくる。
ねえ。気付いてる?
お腹空いてるんだ。今の俺はとってもね。
君がいるのは、餓えた狼の腕の中だって事。
君は食べられちゃう赤頭巾だって事。
食べさせてよ、君を。
美味しく食べられる自信はあるよ。
誰よりも何よりも。
頂戴。
食べさせて。
餓えて餓えて君をめちゃくちゃにしてしまう前に。
君が君を差し出してよ。
「大丈夫、ですか?」
そっと回された彼女の手が俺の背中をゆるゆると撫でる。
「あと少しだけ」
君の香りを剥がす事が出来ないのならば、
せめて俺の香りを移させて。
君の香りを俺の香りと混ぜ合わせて一つにさせて、この世でたった一つの、秘密の香水にさせて。
とりあえず、それで満足する事にするから。
狼にならないようにするから。
満足するまで彼女を抱き締めて、届けてくれた救援物資を有り難く頂いて、彼女はまだ少し仕事が残っているからと、L.M.Eに戻っていった。
可愛い可愛い、赤頭巾ちゃん。
彼女は本当に気付かなかったのかな。
おばあさんが狼だって事に。
耳も鼻も、口も声も。
気付いていたのに気付いていない振りをしていたんじゃないのかって、思いたくなるんだ。
俺は、君を食べたい狼なんだ。
お伽話みたいに君を食べた後に猟師が来ても、決して負けてお腹を割かれたりなんてしないけれどね。